海上保安庁水路部による神津島周辺の海底調査
黒い部分は海が深い部分で白い部分は海が浅い部分 |
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上図を参考に示したのは、旧石器時代は寒冷期にあり現在の海面より当時の海面の高さは約100m〜120m低かったとされ旧石器時代の神津島周辺の地形がどうなっていたのか、幾つもの小さい島が海上に顔を出していたのではないか、それとも現在独立して分散している島々が一つに繋がっていた可能性はないのか、海の渡航に関して神津島から伊豆の河津まで現在より数段条件が緩和(渡航距離や利島伊豆半島間の島の出現)があったのでは、と色々空想してしまいます。
残念ながら、今から1万年以上前の伊豆半島東南の島々の形状や海の様子に対し科学的研究がされていませんが、原始宗教の源流でもあり、海彦の生活の場でもあり、当時山彦達(内陸)の羨望の的・黒曜石を生む宝島でもある当該エリアの調査解明が望まれるところです。
島の周辺が広範に浅くなっていることから、当時の島の面積はもっと大きかったことも推察され、そこに旧石器時代の人々が村落を築いていたか、ないしは伊豆河津に部落を構え神津島へ定期的に黒曜石を採取しに行ったか分りませんが、なんらかしらの旧石器人の足跡は海面下に在る筈であり、今後の調査が期待されます。
ただし、最も知りたい当時の舟ないしは筏の構造を知り得る木造の遺品に遭遇することは繊維質は腐り易いことから見つけ出すことは極めて困難だと思います。ただし、石斧など間接証拠が見つかればと期待しています。
次に参考になればと思い、別の海上保安庁水路部による神津島周辺の海底調査による図面を紹介します。
ただし、古代妄想に慕っている私にすれば、三宅島に鎮座していた三嶋神社の名称延暦として大島・宮古島・古代神津島の三つの島伝説「三嶋の神」の語源ないし神々の位置づけ、ないしは意味合いが微かながら把握し得る史実として語り得るものか否か、当時大きな島が三つあったか否か興味の惹くところではあります。
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伊豆半島東南約60km離れた所に存在する神津島をはじめとする島々の周辺は意外に浅いことが分ります。旧石器時代の氷河期は現在の海面より100m以上低かったとされています。下欄に海底地形として海上保安庁海路部が記している原文をそのまま添付します。
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