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駒形(こまがた)神社
三島市沢地350
農村で、唯一森を残しているのが村ごとにある氏神様の鎮守の木立だと言えます。安永3年(1774)の沢地駒形神社の鎮守の森の木数調べという古文書から、江戸時代の鎮守の森に思いを馳せてみました。文書は同年2月に、豆州沢地村の三役(名主・与頭・百姓代)の治右衛門、源右衛門、七郎左衛門から箱根山大庭庄左衛門に宛てて提出された報告書の形になっています。沢地は古くから箱根権現領。したがって駒形神社に関する報告も箱根権現の役人に提出することが習わしだったのです。内容の氏神の森内にあるすべての樹木について、樹種、樹高、太さ(目通りと思われる)が列記され、最後に樹種別の本数と、太さが尺を超えなかった冬木(雑木であろうか)50本余りを記しています。
樹種で多数を占めるのはスギで77本、次いでマツが10本です。スギ、マツのように建築材として利用価値のある樹木は、神社の改築などの場合を想定して村人が植林したものだろうと考えられます。興味深いのは雑木に類する樹木で、ミズクサ、モチノキ、ムクノキ、ツバキ、ケンプンナシ、コガ、サカキ、コナラ、アテビ、サクラなどです。四季折々の美しい森の景観を作り出した雑木群や、名前も聞いたことのない樹木が村の社を守っていたのでしょう。
樹齢約600年のスダジイ

ムクノキ

沢地川は昭和30年代まで蛍が沢山飛び交うところでした。光が丘団地も無く民家も壱町田付近にちらほら在るだけで、真っ暗な夜道で見る蛍は優雅というよりは、むしろ不気味に感じられました。
沢地村は、沢地川の上中流域の寒村であり、江戸時代までは箱根権現の所領でした。年貢も三嶋大社では無く箱根権現に毎年米180俵納めていました。
沢地独特の「横井戸」と呼ばれる横方向に土手を掘り水を流し出せるほど水に恵まれた地域であり、沢地川に堰(せき)を設け田畑を営むかたわら馬による木材の切り出しなど生業として来ました。
箱根権現は鎌倉時代以前より山岳宗教の一大参集地でもあった訳であり、現在、推定平安鎌倉古道と称されている道は私は修験者の道だったのではと思っており、同道の韮山辻を左に行けば三嶋大社に向かい、右に折れれば沢地に到着する。沢地に着けば「駒形(こまがた)神社」に参拝する。
龍澤寺の古老によれば、昔は何かといえば村人が駒形神社に集まり、社叢の手入れも熱心に行われていたものだが、最近は手入れが行われなくなり、だんだん荒れて来たなと感想を漏らしています。
箱根芦ノ湖にも箱根権現の社外の末社(枝宮)で箱根宿の鎮守様としての駒形神社があり、沢地の鎮守様として祀られたものとされ、箱根の駒形神社は天御中主神、素戔鳴命、大山祇神)、蓑笠明神(事代主命)を祭神としている。

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龍澤寺(りゅうたくじ)
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