三島・沼津の古道を探る

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菅小路(すげこうじ)は位置が特定されない八小路の一つである。小路とは旧東海道・旧下田街道・旧佐野街道・鎌倉古道のような大路に対する呼称とされ、金谷小路を除いては殆ど大路に直角に接しています。

ですので私が類推するには妻塚(さいづか)前の古道に近く下田街道に接し点線の赤丸内にある小路で伊豆箱根鉄道が踏切を設けた通路としたいところであるが車両の対面通行が可能な道幅になっていて小路という風情は失われています。ただ笠縫橋(かさぬいばし)が残されていて、南北に流れる桜川には最近蛍が舞うようになったようで笠縫橋から蛍をみたいものです。

やはり、そうであるならば分らないとした方が謎めいて後の人の宿題としてとっていた方が良いかもしれない。
源頼朝が木の下で昼寝していたという間眠神社(まどろみじんじゃ)の付近では菅が生い茂り、周辺の部落では農閑期の副業として菅笠を作り市場に出していました。

万葉集に歌われているように古くから三島菅笠の名は全国的に知りわたり農作業や旅人の日用必需品として人気があり戦前ごろまで内職が続けられいたと伝えられます。
三島の土産品としての三嶋菅笠の復活を望みたいところであるが、菅の群生地も宅地化され菅笠を作れる後継者もいるかいないか分らなくなってしまいましたが、高齢者の手内職にぴったりと思われます。

万葉集

三嶋菅  未苗在  時待者  不著也将成  三嶋菅笠

三島菅いまだ苗なり 時待たば着ずやなりなむ 三島菅笠

三嶋の菅は未だ青々とした苗で菅笠にするには早すぎる。
だからといって漫然と苗が育って行くのを待っていたら三嶋菅笠をかぶることができないかもしれない。

三嶋の愛しいあの子はまだ若過ぎる。だがあの子が成長するのを待っていたら、引く手あまたなあの子は誰かに横取りされ、会えなくなってしまうかも知れない。
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